週1回のペースで投稿を続けているこの
ブログ(時々ペースは乱れるけれど)、
ちょっと間があいてしまった。
前回投稿の後、父が倒れ救急搬送され、
一度呼吸が止まりかけたところ、懸命に
措置をしていただき、一命はとりとめた。
しかし、90歳という年齢による体力で
治療方法も限界があり、意識も戻るかどうか
わからない、という。
今の医療では延命措置により命を救うこと
ができる可能性がとても高くなっている。
お医者様も命を維持できる方法がある以上、
それを否定するようなアドバイスはされない。
人の幸せと最期の迎え方。
父は昔から
「人の人生なんてわからないよ。目を閉じる時
、「ああ、いい人生だった」と言って最期を
迎えたい、それができる人は本当に幸せだ」
と言っていた。
ここまで、私が知っている父の人生の部分だけ
見ても、どんな時も諦めず、誠実に攻め続けて
きた人だ。父の意識が戻った時、父は何をどう
選択するだろうか?父のこれまでの人生を最期に
台無しにしない判断を家族はしていかなくては
ならない。
私には難しくて途中読みの「往生要集」をあらた
めて読んで見る。お釈迦様にひかれて逝くのを
身内はただ見守ることが「自然」なのか・・・。
自然の中で自然の一部として存在する「人」なの
だから、最期くらいは自然に逆らわず、自然に
任せて見守ることが父にとっても穏やかで苦しく
ない時間となるのかもしれない。
意識が戻ることがないのに、身内の欲とその他
諸々の都合で延命した時、延命された本人は
幸せだろうか。
現在のこの国の一人あたり医療費は高齢になれ
ばなるほど上昇し、75歳以上が国民医療費の
35%を占めている。
これからの時代の若い人たちにその負担を残して、
父が延命を選択したいと言うのかも、父に聞いて
確かめることはできない。
家族全員の「父への思い」が父の納得してくれる
選択へとつながると信じている。
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